いい眼鏡をかけたら老けにくくなるかもーQOL向上とアンチエンジングのためのオーダーメイド眼鏡を作る

しばらく前から目の焦点が合いにくくなってきた。最初の頃はなんだかぼんやりとしてあれっと思って瞬きをすると焦点が合って見えるようになったりした。また、近視の眼鏡をしていると近くが見えにくくなった。夫のオヤジギャクでいえば「はなせばわかる」(話せばじゃなくて離せばってことね)。夜間はより見えにくい。そのうち、視力が劣った状況になると特有の表情じわができやすくなることに気づいた。近視でも眉間にしわがよるが、違うタイプの表情じわができそうで気になった。

自分が老眼だと認識するのには抵抗があるものだ。眼鏡屋の若い店員が自分の親の経験談として、若いうちから老眼鏡をかけ始めたほうが進みにくくてオススメですよと言っていたが、適当に聞き流していた。しかし、それはセールストークなだけではなくて本当かもしれない。それに老眼鏡をかけたほうがしわができにくくなって美容にもいいのかもしれないと思うようになった。そのきっかけは、たまたま自分に合った良い眼鏡を作ったからである。

私は近眼なので、これまで街の普通の眼鏡屋で眼鏡とコンタクトレンズを作っていた。今の眼鏡はオーダーメイドである。近視、乱視、老眼、斜位のほとんど全部入りである。フレームは日本製だが、レンズはドイツのカール・ツァイス製だ。眼鏡が出来上がってかけたまま店の外にでたときは感動した。ものが立体的に見える、遠くまで見える、しかも疲れない。夜だったのだが、見慣れたはずの都心の夜景の美しかったこと。

ところで斜位って何?と思った人がいるかもしれない。私は斜視ではないしこれまでそう言われたこともない。ただ、私を含めほとんどの人が多かれ少なかれ斜視(斜位)の要素があり、上下左右にズレがあるそうだ。隠れ斜視ともいうらしい。例えば近視の人が度がピッタリのレンズを作るとズレが大きくなりそれを眼筋や脳で直すために頭が痛くなったりする。そのため少し度が弱いレンズで眼鏡を作るのが一般的になっている。斜位の矯正も行うとズレがなくなるため目や脳に疲れがでない。だから度もピッタリで頭も痛くならないレンズを作ることができる。近視の例を挙げたが、それ以外の老眼・遠視・乱視の人や視力に問題のない人であっても疲れずにものをクリアに立体的に見ることができるようになるそうだ。

オーダーメイドなのでそれなりの値段はする。近めの海外旅行一回分くらいに相当するだろうか。起きている間はほとんどかけているものだから、自分に合ったものだとQOLが上がる。これまで普及品の眼鏡をかけてきたけれどここはちょっと奮発してみようか、コロナで旅行に行けなかったと思えばそのぶんの金額をかけてもいいか、と思って作った。そのうち仕事用に焦点が近い近々眼鏡も作ろうかと思っている。

廃業してしまった極上の温泉の思い出 星山温泉(神奈川)、ホテル静養園(千葉)

去年はほとんど温泉に行けなかった。コロナ前はかなりいろいろなところに行っていた。ここではコロナ前に廃業してしまったふたつの極上の温泉の話をする。

私も夫も泉質重視派である。逆に泉質が良かったら設備はどうでもよい。新しくてピカピカの綺麗な設備でないとダメという人は、これらの温泉には入る前に踵を返してしまうかもしれない。特に星山温泉は絶対無理な人も多いだろう。

星山温泉は神奈川県葉山町にあった。葉山といえば高級別荘地のイメージであるが、ここはまさしく秘湯で、山奥の廃墟にあるバラック小屋である。脱衣所と狭いステンレスの湯船がある浴室で構成された小屋は貸し切りである。気のいいご主人が廃材の薪を焚いてお湯を沸かしてくれた。冬の時期は焚き火をしながらのんびりご主人や他の客と世間話をしたりしたものだ。見た目こそ古くて怪しくごちゃごちゃしているが浴室内は清潔である。泉質は抜群で浸かったときの感動は忘れられない。透明でヌルヌルした独特の感触の沸かし湯を楽しめた。夫の大型バイクで何度か行ったのだが、山道が複雑で分岐が数カ所ある。ウェブの道案内はほとんど役に立たず、夫曰く絶対こっちじゃないと思う方ばかり選択するとたどり着けるとのことだった。

星山温泉に比べるとホテル静養園は古いだけで普通のホテルである。千葉県富津市にあったホテル静養園には東京からアクアラインを経由して何度も通った。いつか泊まってみたいとは思いつつ毎回お湯だけお世話になった。外観はさびれているが、レトロでいい感じのロビーと湯殿である。ここの琥珀の湯は黒に近い深い焦げ茶色で、浸かるとじんわり身体にいいと感じるホッとするお湯だった。芯から温まり湯冷めしにくい。女湯、男湯それぞれに露天風呂と内湯があった。女湯でいろいろな人と話をする機会もあった。近所の方が、ここに来ると体調がよくなるので通っているとおっしゃっていた。自噴の掛け流しと循環湯を併用し加水消毒なしとのことである。ホテルのご主人が受付にでてくることもあり、話し好きで温泉を愛しているのがよく伝わってきた。

星山温泉もホテル静養園も本当に素晴らしい温泉だった。もうあのお湯に入れないのは実に残念である。

サスペンスドラマのお約束と所感

サスペンスドラマをよく見るが、いろいろ思うところがある。

  • 犯人役の俳優が巧いとドラマが引き締まる

主人公の俳優よりも犯人役の俳優の方が重要である。主人公は演技下手な人気俳優を起用しても一向に差し支えない。しかし犯人役が下手だといきなりドラマが陳腐化する。犯人が殺人を犯すことがドラマの起点であり、犯人の心理や状況がドラマの最も重要な構成要素だからである。

  • 犯人をゆすると殺される

犯人をゆする者が現れることがあるが、たいてい殺される。そりゃあそうでしょう。だって犯人の殺人に対しての倫理的・心理的なハードルは低い。実際に殺人を犯した経験があるのだから。もし誰かがその犯行を知ってしまったら、警察に言うか知ってしまったことを徹底的に隠して犯人から遠ざかるかしかない。犯人からゆすり取れるかも知れないお金より身の安全のほうが重要である。

  • 犯人は必然性の無い殺人を犯してはいけない

犯人はなんらかの理由で殺人を犯す。行き掛かり上、複数回の殺人を犯すこともある。しかし、完全犯罪を目論むのなら必要最低限の犯行にとどめるべきである。足がつくリスクが増えるからである。実際に本来犯したかった犯行だけなら闇の中に葬ることができたであろうに、追加の犯行から逮捕されるケースが多い。ゆすられたり不安になることが発生したとしても、犯人にはとにかくしらを切り通す胆力が必要である。

  • 観光地をロケ地にしている

さて、国内のサスペンスドラマは観光地をロケ地にしていて、地方の観光コマーシャルを兼ねていることが多かった。

クライマックスの場面は崖と相場が決まっていた。犯人が誰かを追い詰めたり犯人自身が追い詰められり誰かが身投げしようとしたりする場所は決まって風光明媚な崖である。しかし、たまにそこじゃないだろうと思われる場所も出てくる。例えば私には南紀白浜の三段壁でなぜ身投げするのか理解できない。彼らにこう言いたい。いろいろ事情はあるにせよ、まずはとりあえずのんびり温泉入ってきなよ、パンダ観に行ってみなよ、美味しい魚食べてみなよ。そうしたらきっと思い直すんじゃないだろうか。

最近はドラマにかけられるコストが減ったために、いろいろな工夫が見られる。例えばロケ地を都内に限定したり部屋で考察を行うだけで外に出なかったりしてコスト削減を図っていたりする。それはそれで論点が絞れたり作品の個性があらわれたりしてよい。

しかし、日本は東京だけではないのだから地方ロケを全部カットするのは寂しい。地方放送局などとの連携やテレワークを使ってうまくコストカットしてほしい。

  • 女性刑事がヒールを履いている

ドラマで女性刑事もよくみかけるが、特に以前のドラマでは高いヒールの靴を履いていたりする。犯人を走って追いかける場合、悪ければヒールを折ったり転んでしまったりするだろうし、そうでなくとも走るスピードはかなり低下する。

実際の警官は勤務中にヒールを履いたりしないと思っていた。ところがそうでもない。近所の交番の制服警官がヒールを履いたまま自転車に乗っているのを見て驚いたことがある。もしかしたら実際の刑事もヒールを履いてたりするのかもしれないけれど、美的要素より安全や業務効率を優先させて、フラットシューズにしたほうがいいと思うよ。

電気圧力鍋を使ったあっさり黒豆の煮方

今年末も黒豆を煮た。わが家の手作りおせちは黒豆と松前漬け、赤かぶの甘酢漬け、あとは関東風の雑煮くらいである。

黒豆の一番有名なレシピは、料理研究家土井勝氏が作ってご子息の土井善晴氏が引き継いだものだろう。熱い煮汁に黒豆をつけて一晩おいてから煮るやり方だ。私の作り方は少し違う。

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Ozgun流黒豆の煮方(量は重さ)

1. 黒豆を洗った後、水に半日から1日くらいつける。水は黒豆の6倍の量。

2.そのまま黒豆を強火にかけて沸騰したらアクを取る。アク取りの分、適当に差し水する。

3.黒豆と同量の砂糖と醤油少々を加えて、電気圧力鍋に移し20分加圧する(加圧の前後を含めた全体の電気圧力鍋の調理時間は1時間程度)。

4. 電源を切り、一晩おいてできあがり。

(常温なら冬場でもできれば3~4日以内に消費する。保存中には鍋に移して火入れしてもよい)

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土井氏のレシピで作ったこともあるが、おせちの黒豆らしくしっかりと濃い味になる。私のやり方で煮ると家庭料理らしくあっさりと仕上がる。長期保存は考えていない。煮物は水や出汁で煮てから味付けするのが一般的だが、同様に作る。見た目にこだわらないので釘や鉄粉は使わない。

電気圧力鍋は主に長く煮る必要がある煮物に使う。それほどしょっちゅう使っているわけではないが、あるとかなり便利である。豚の角煮には必ず使う。

電気圧力鍋を使う際はアクのことは気にしなくてよいという人もいるが、黒豆に限らず煮物をするときには、鍋でさっと下ゆでしてアクを取ってから圧力鍋に移すようにしている。一手間かけると味が品よく仕上がる気がする。

黒豆はどの作り方でも水や煮汁に一晩かそれ以上つけておきそのまま調理する。夏だと保存の面で気になることもあるから冬の方が適した料理かと思う。

家人も黒豆が好きである。以前正月にひとりで実家に帰省したことがあるが、戻ったら鍋一杯に作っておいた黒豆がなくなっていた。どうやら主食にしていたらしい。そういったわけで年が明けて売れ残って安くなった頃また黒豆を買って煮たりもしている。電気圧力鍋のおかげでだいぶ気軽に作れるようになった。

ところで砂糖はきび砂糖を使っている。以前は三温糖を使っていたのだが変えた。ある日たまたまきび砂糖を試してみたら独特の風味があって気に入ったからだ。精製されていない砂糖の方が健康にいいとも聞く。てんさい糖もいつか試してみたいと思う。

コロナ後の通勤電車の乗り方とスマホの影響

朝夕の電車に乗ると、一時期よりもだいぶ乗客が増えた。

とはいえ、テレワークの人達も多いから以前ほど超満員にはならなくなってきた。満員電車は一般に不快だから歓迎すべきことではあるが、同時に電車の乗り方がわからない人が増えた。

電車に乗るコツは、乗るときに車内を眺めて自分が車内のどこに位置したいかを瞬時に判断することである。これは超満員のときもそうでもないときも同じである。

「ドア付近には立ち止まらないでください」というアナウンスがあるにもかかわらず、ドア付近で頑張っている人達が実に多い。すぐに降りるからかと思えばそうでもないから、あまり何も考えていないのだろう。言い換えると電車の中は空いているということだ。乗車の際すみませんと一声かけて電車の中に入るようにすると、部分的に空いている快適な空間に立つことができる。

またドア横が好きな人もいるようだ。以前は座席の端はバーだけだったが、今は仕切り板がついている。仕切り板を背に寄りかかって立っている人が多いようだが、混雑した電車では身体の前側に仕切り板がくる方向で立った方がいいと思う。以前はバーに背中が寄りかかるように立っているので、頭やお尻が座っている人にあたって迷惑な状態になっている人がいた。今は仕切り板があるのでましかもしれないが、寄りかかると髪やフードなどが端の人にかかってしまうこともある。身体の前面に仕切り板があるほうがべったり寄りかかることがしにくいため、端の人への迷惑度が低いと思う。また、たくさんの人がドアから乗降する際には、乗降する側が背中のほうがお互い気をつかわなくてすむ。それに移動する人が多い側でむやみにスマホを操作するとお互い危険でもある。

また、車内でつり革や手すりにつかまらない人がほとんどである。バランス感覚がいいのか多少の揺れではふらつかないようだが、電車の急停止などで大きく揺れる可能性もある。スマホ操作に支障があったりウイルスに気をつかっているのかもしれないが、それでもつり革や手すりにはしっかりつかまったほうがよい。ウイルスに関しては、今どきの電車のつり革や手すりには抗ウイルス加工が施されていることが多いし、適宜消毒をして自衛することもできる。

ちなみに超満員電車に乗った際にも、車内のどこに行きたいか目安をつけるとよい。そういう電車では自発的に移動することはできないが、行きたい方向に身体の向きを変えると後から乗ってきた人が背中を押してくれるから、周りに迷惑をかけることなく行きたい場所に無理なく行くことができる。

ところで、電車の乗り方について、以前と今とでは人の考え方が変わってが周りに気配りしなくなったのだろうか?それはそうとは言い切れない。一番大きい要因は皆がスマホを持つようになったことだろう。以前は車内では新聞や文庫本を読んでいる人が多かった。新聞や文庫本は乗り降りする際には閉じるので、周りの人達の動きや様子が目に入ってきて自然に気を配ることができた。しかし、今は乗降の際にもスマホを見ているから周りを観察する余裕はないのだ。

せめて移動の際にはスマホから目を離そう。スマホを見ないことで視野がひろがるから人生がもっと楽になるかもしれない。

手荒れにはグリセリンが効く

脂性の私にも手荒れのシーズンがやってきた。

私はアルコール(エタノール)消毒が好きで、コロナ前から外出先でせっせと手指の消毒をしていた。コロナ後は言うまでもない。スーパーで買い物をする際など、自分の手、カートのグリップとカゴの取っ手を消毒している。コロナ予防のためならそれほど消毒する必要もないだろうしむしろ単なる趣味である。

もしかすると脂性だからあまり気にならないのかもしれないが、アルコール消毒は手荒れの原因にもなりがちだ。ハンドクリームはほとんどつけない。日常的にPCやスマホを触ったり料理をしたりすることを考えると、何かが手に常に付いている状態はあまり好きではない。また、以前職場の同僚が仕事中にロクシタンのハンドクリームをせっせと塗っていたが、香りが強すぎて閉口したものだ。無香料のハンドクリームもあるが、もっといいものがある。

それがグリセリンである。手作り化粧品の材料コーナーにもあるが、ドラッグストアなどで売っている日本薬局方グリセリンの一番小さいサイズのものでも十分である。値段も安い。寝る前に水で手を濡らしたあとグリセリンを数滴手のひらにたらして指先や指の間、手の甲、手のひらになじませる。翌朝になれば手がしっとりとしているのが実感できる。即効性がありハンドクリームよりも効果が高い。かなりガサガサになった状態からであれば2、3日続けてもよい。みずみずしいお肌がすぐによみがえるだろう。また持続性もあるからあまりしょっちゅう行う必要もない。

グリセリンには保湿作用がある。原液をそのまま使うと作用が強すぎて逆に効果が薄れるかもしれない。水とグリセリンを量ってグリセリン水を作ってから使えばもちろんそのほうがいいのだろう。私は面倒くさがりなので、手のひらで適当に水とグリセリンをなじませて使っている。寝る前に行うのはベタベタするからである。保湿効果とベタベタするのは表裏一体だから、寝ている間に保湿が行われると都合が良い。

手が荒れるとなんとなく落ち着かないし、ひどくなると血がにじんだりして痛いこともある。冬の日常生活の質を向上させるためにもおすすめである。

映画レビュー「Dr.コトー診療所」

Dr.コトー診療所のテレビドラマは、最近Gyao!で一括視聴した。離島の診療所で設備が十分に整っていないなか、患者の状況に合わせて難しい手術をこなしていくコトー先生に共感した。仕事も状況も違うが、データサイエンティストの私も顧客のシステム環境とニーズに合わせて仕事をしており、与えられた環境でベストを尽くすことがプロフェッショナルだと思っている。

さて、そういうわけで、映画も観に行った。結論を先にいうと、映画全体としてはとても残念な出来だった。良かったところは島の風景と役者の演技、良くなかったところは脚本とストーリーである。

素晴らしい海の風景から始まる映画はそれだけで期待が高まる。また、全体的にいい役者を揃えているだけあってドラマが締まって見える。ドラマからしばらく経っているので老けて見える俳優もほとんど見た目が変わっていない俳優もいる。この映画だけ出演の俳優も違和感がなく良かった。この辺りにはリアリティがあるといえよう。

脚本とストーリーはいただけない。例えば、原剛洋は島の神童という設定だが、映画以前から学歴に無理があった。脚本家は東京のお受験しか知らないので視野が狭くなってはいないか。医師になりたい地方の優等生は地元の中学、高校を経て国立医学部に進学するのが通例である。今は中高一貫校かもしれない。沖縄や九州にもそれぞれ県立の名門高校があり、医学部進学実績がある。離島の庶民の子供が医者になるために東京の私立中学に経済的な無理を押して進学するのはかなり設定に無理がある。そうはいってもこれまでは一話一話進行するテレビドラマだから視聴者側もあまり突っ込まずにきてしまったのだろう。映画では剛洋のその後が描かれているが、現実的でないところがより鮮明になってしまっている。また、剛洋のシーンは長めにとられているが、俳優が元子役であり現在はプロの俳優ではなく一時的に復帰しただけなので、コストを抑えて起用できるためだろうと思うのは穿ち過ぎだろうか。

また、沖縄や九州では台風などの自然災害に対して一般にしっかりとした対策がなされている。この辺りも東京しか知らない脚本家の浅さを露呈している。ドラマ版からしばらく経ったので、映画版では新しい技術が使われている描写がある。しかし、それは時代が変わっているという描写のためだけに個別に使われただけである。実際には新しい技術は生活全体に関わっており、自然災害対策の一環にもなっている。脚本家にはその辺りの知見も乏しい。

脚本の問題点は、フジテレビの問題点であるともいえよう。フジテレビはメディアとしての業績は悪化の一途をたどっている。コスト面から一時期優位であったためか韓国寄りのメディアといわれたこともある。この映画でも唐突にハングル文字が出てくるところがある。また逆に韓国寄りな面を堂々とストーリーに展開しなかったところは、いろいろと忖度した結果なのだろうか。

主題歌はドラマ同様、中島みゆき銀の龍の背に乗って」であり、エンドロールで流れる。歌そのものはあまり好みではないのだが、映画での歌い方はドラマよりもストレートで良かったと思う。

資金や設備が十分に与えられていなくともその状況で最善を尽くす、というところがこの作品への期待だった。映画ではいろいろと行き当たりばったりな描写も多く、個人的には残念だった。Dr.コトー診療所としては最後の作品だという報道があった。そのため総集編ということで人気のある題材を盛り込みたかったのかも知れないが、もう少し絞って練ってから作って欲しかったところである。