ポストコロナでのTHINK OUT OF THE BOX

Think out of the boxという言葉がある。あらかじめ決まった枠のなかでものを考えるのをやめて創造的にものを考えよ、という意味である。

日本人は特に決められたコミュニティのなかで生きるのが好きだ。安心するのだろうし、それが何よりも大切な社会を構成している要素だからである。飲み会帰りの集団が、歩道に広がって互いに必要以上に丁寧に挨拶などを交わしている姿を見かける。彼らは他の人たちが歩道を歩く妨げになっていることには頓着しない。

決まった枠のなかで行動しているだけではない。決まった枠のなかで思考をしているのである。

政治的な言動も、右翼と左翼に別れている。右翼/左翼の人たちはそれぞれのグループ内の同じ考え方しか支持しない。いろいろなものごとがあるのだからその都度意見は異なってしかるべきであり是々非々の判断になると思うのだが、いつも同じ結論に達しているようだ。思想が一貫しているからそういう結論に達するのではない。そうなるともはや考え方の問題ではなく宗教の問題である。

専門バカという言葉がある。専門家はその専門ではひとかどの人物だが、専門外のことになるとトンチンカンなことを言い出す。実は専門家ではない一般の人たちも同様ではないか。専門というわかりやすい枠ではなくて、そのコミュニティの枠のなかで決まった発想しかできない。

インターネットが普及してしばらく経つ。ウェブ上でいろいろなビジネスも生まれてきたが、コミュニティの作り方は現実のやり方に加えて多少作法が変わったりしてきている。

世界で新型コロナウイルス感染症が流行して行動の自由が制限されている。実際に会って話がしにくくなり、ビデオチャットなどで話をするようになった。セミナーもオンラインで行えるようになった。これまで東京で行っていたセミナーは東京にいる人しか参加できなかったが、どこに住んでいる人でも参加できるようになった。行動の制限が別のやり方を生んでいる。

これまでもSNSネット掲示板でのコミュニティが作られてきた。実名でも匿名でも。これからAI翻訳がより正確になれば、世界中の人と言葉の障壁なしに意見交換ができるようになる。

それは人の考え方や発想にも影響を及ぼすだろう。これまでの枠内で考えていたその枠が取り払われて別の枠ができるかもしれない。しかし、枠のなかで深く考えるのを良しとしてきたその発想自体が違うものになるかもしれない。

これまでは理論を積み上げる手法としての論理構築があった。しかし、これからは、枠がない状態で、概念を理解しやすいように再構築していく発想が求められるだろう。例として、統計モデリング機械学習で使われている多変量解析の方法などもその考え方のひとつになるかもしれない。