好き勝手言われるほうが飲み会の幹事はやりやすい

飲み会の幹事をすることが結構ある。コロナの影響で1年くらい飲み会に行っていないが、去年の初めまでは定例会や突発的な飲み会をアレンジすることがあった。

幹事をする上で実はやりやすいのが、何でも好き勝手ワガママをいうメンバーのグループである。彼らは文句が多いが、わかりやすいので幹事としてはありがたい。こちらも言いたいことを言える。「またそろそろやろうよ。かしこまった店じゃなくて気軽な店がいいよ」といわれ、早く帰るって言うから予約していなかったのに「次行こう!カラオケ!時間?いいよいいよ」というのでその場で次の店を見つくろうとか、ワガママに対応するのもなんだかんだいいつつ楽しめる。

やりにくいのは、気取っているうえにそのポイントがはっきりしなかったり、イヤミをいうメンバーが多いグループである。事務的な会議を兼ねているので落ち着いて話しやすい個室でたまたま景色のいい部屋を取れば「ここでも十分だけどね。もうちょっと高級感もほしいねえ」という。人を傷つける目的しかないような回りくどいイヤミを薄笑いしながら言う人もいる。こういったグループの幹事をいくつか引き受けてしまったことがあるがつらくて結局長続きしなかった。

ウィットを伴ったイヤミならくすっと笑ってしまう。愚痴を言うならユーモアも伴っていないと聞く方がつらい。この場合のウィットやユーモアというのが文化や人柄というものだろう。ブラックであっても面白いのだ。そういったものが伴っていないイヤミや愚痴は単なる自己愛の発露でしかない。私の周りでは回りくどい物言いをする人よりもストレートに言う人の方が、話に味がある人が多い。直球でさまざまな意味を表現できる語彙と教養があるのだろう。

ものごとを多面的にとらえることができる人からの悪口は、悪口を言われた当人も笑ってしまうことがある。さらっと流せてしまうこともあるが味わい深いこともある。何かを言うときには受け取る側の人柄や事情もあるからいつでも好意的に受け取られるわけにはいかない。良かれと思って言ったことでも人を傷つけることもある。相手のことがわからないなら、せめて自分の感覚や良心に誠実な表現をしようと思っている。

好き勝手言い合えてこちらの事情も受け入れてくれる友人たちはありがたい。そういった友人たちとは長く付き合いが続いている。