政治家が夜の街を利用する理由は、秘密が守られるから、ではなかったのか

政治家が緊急事態宣言中に高級レストラン、料亭、クラブやラウンジに出入りしていたというニュースがある。このニュースで報じられるのは、国民が我慢している時期に、国民から得た報酬で、夜の街に繰り出して美味しい料理を堪能しキレイなお姉さんたちと遊ぶなんてうらやまけしからん、という論点である。しかし、そういった論点は本質からずれていないか。

政治家はなぜ高級料亭やクラブに高いお金を払って出入りするのか。それは、そういった場所なら会話の相手や内容に関しての秘密を守ってくれるから(のはず)だ。

ところが、これらがニュースになってしまうということは、秘密が守られていないということに他ならない。記者が政治家に張り付いていてそういった場所に行っていることを見つけたのかもしれない。あるいは、そういった高級店で働く従業員がコロナで収入が減ってマスコミに情報を売ったのかもしれない。いずれにしても秘密が漏れてしまうのならそういう場所に出入りする意味はないということだ。

またそういった夜の店側も、自分たちの存在意義をしっかりと見直さなくてはいけない。メインの客は中高年の社会的地位のある男性であろうが、そういった客に、魅力的な女の部分を売るだけでコロナ禍を切り抜けていこうと思うのは考えが浅すぎる。まともな客なら客の名前や会話の内容を外部に漏らすような店には寄りつかないであろう。

以前ブログ記事に、ポストコロナでは「無駄に生き残ってきたビジネスが淘汰される」と書いた。高額な夜の店は享楽を売るだけでは生き残れない。顧客は、それなりの格式があって安心して会話を楽しめる場所の提供を求めているのである。それ以上のサービスは会話を楽しむための、いわばおまけのものである。そこに文化が生まれてきたということは否定しない。無駄や遊びの部分から生まれてくるものはあるだろう。

しかし、本質的な必要性がなくなった機能はコロナ禍では淘汰されるであろう。純粋に遊びを提供するビジネス、例えばゴルフなどはコロナ禍でむしろ流行っているようだ。これまでゴルフをしなかった若者が青空の下でゴルフを楽しむようになってきている。しかし、夜の街のように、コロナの温床にもなっていてサービスの本質を提供できなくなっているビジネスは廃れてしまってもしかたがない。それが嫌なのであれば、ひいきの客に来店を色や情だけで迫るのではなく、ポストコロナにおけるビジネスの本質とサステイナビリティを真面目に考えるべきであろう。それが高級店の矜持というものではないか。