コロナ禍でも直に会話をしたいという欲求は抑えられない

コロナの流行を阻止するために一番大切なことは「対面で会話をしないこと」と私は何度も書いている。会話をしないことで飛沫を飛ばさなければ、感染しにくくなる。

 

しかし、人が会話をすることは生きていく上で重要なのかもしれないと最近思うようになった。テレワークの普及などもあって、ここ一年ほど会話の機会が減ってしまった人も多いだろう。私もそのひとりだ。機会が減ったので会話が下手になったようにも感じる。ついかぶせ気味に話をしてしまって反省したりしている。

 

最近初対面の人と短時間会話をする機会があった。彼女はしばらく特定の人以外と話をしていないらしい。話し始めるやいなやマシンガントーク状態になっていた。もともとそういうキャラクターの人なのかもしれないが、共通の話題をもつ誰かと話をしたかったんだろうなと思った。

 

日本人のコロナ感染者が世界的に見て比較的少ない理由は、会話が少ないことと、日本語が飛沫を飛ばさないような発音の言語であることだと思う。英語を例にとろう。以前から私は英語を話すと自分が飛沫を飛ばしているような気がしていた。日本語よりも英語の方が同じ内容なら具体的な説明に費やす量が多いため話が長くなるようにも思う。また、英語に限らず日本人より外国人の方がよく話す気がする。南欧の人は話し好きで人と人の距離が物理的に近い。中国人やインド人などは大声でまあよくしゃべる。

 

コロナ前に以前の職場で中国人の同僚数人が会話をしていて盛り上がっていた。あとでひとりに「何を話していたの?」と聞くと「彼らとは言葉が違うから何言っているのか全然わからなかった」と言う。中国本土内でも場所によって話す言葉は違う。例えば北京語と広東語は違う言語なので話は通じないだろう。日本人だったら言葉が通じない時点で話すことを諦めてしまうだろうが、彼らは言葉が通じなくて一方的であっても話をし続けるらしい。

 

会話をすること、自分の言いたいことを伝えようとすることは、人間の根源的な欲求なのかもしれない。

 

対面でなくてもZoomなどを使って話はできるし、オンラインセミナーなども開かれている。オンラインのいいところは場所を限定しないことである。今まで東京で開催されていたセミナーは他の地方からは物理的に参加しにくかったが、今やどこに住んでいても参加できる。別の国で開催されるセミナーにも参加できるし、会話もできる。コロナよりだいぶ前からSkypeなどでビデオ会話はできた。しかし、コロナでオンラインで話すことがかなり普及したと思う。

 

でも、オンラインはリアルでの会話とはまた違うものなのかもしれない。やはり直に話をしたいという欲求は抑えられないのだ。明確に意識はしていなくても、会話できないくらいならコロナにかかってもいい、と思う人は実はかなりいるのではないか。それくらい何気ない会話は人が生きていく上で重要なのだろう。せめて距離をおいたりマスクをしたり大きなパーティションでしきるなりの十分な予防をして会話をするようにしたい。