オスマン帝国で生まれ育ったアルメニア系石油王グルベンキアンの美術館

最近は脱炭素が世界的に取り組むべき課題となっており、石油業界では事業の見直しや新規技術へのさらなる取り組みが行われているようだ。今回は石油王カルースト・サルキス・グルベンキアン(1869 - 1955)とグルベンキアン美術館の話を書いてみたい。

トルコに旅行したときにポルトガルに寄った。たまたまガイドブックを見てリスボンのホテルの近くだったこともありグルベンキアン美術館に行ってみることにした。グルベンキアンのことはそれまで何も知らなかった。ここを訪れることになったのは何かのご縁だったのかもしれない。

グルベンキアンはアルメニア系でオスマン帝国末期のイスタンブルに生まれ育つ。実業家であり篤志家であった。石油輸出国機構OPEC)に先んじること30年、トルコ石油(後のイラク石油)出資者間でのカルテル体制である赤線協定(1928)の提唱者としても知られる。自らも個人としては唯一5%の権益を得て、莫大な財産を手にする。そのためミスター5%と呼ばれた。彼がその業績によって名を馳せた頃、石油は効率的でクリーンな夢のエネルギーだっただろう。

彼の遺志により、芸術、科学、教育などの助成を目的としたグルベンキアン財団がポルトガルリスボンに設立された。グルベンキアン美術館は1969年にオープンした。グルベンキアンが収集した彼個人のコレクションを展示したものであり、その数は6,000点を超える。学芸員が展示品を選ぶのとは違い、個人のコレクションは純粋にその個人の好みによる。

美術館巡りを趣味とする人は多い。私は美術館に行くことはあるが、何でもありがたく鑑賞するタイプではなく好みがある。グルベンキアン美術館は私にとって美への趣味の一致度が高いような気がしてとても居心地がいい素晴らしい空間だった。エジプト、ギリシア・ローマ、メソポタミアイスラムアルメニア、極東などの芸術品が展示されている。なかでもルネ・ラリックのコレクションは有名である。グルベンキアンはラリックと個人的に親交があった。日本の印籠なども充実している。

ところで、今年バイデン米大統領第一次世界大戦中の1915年頃に起きたオスマン帝国によるアルメニア人の大量殺害を「ジェノサイド(民族大量虐殺)」と認定した。これまでの米大統領はこの件に関して慎重に言葉を選んできた。トルコ共和国では与党、野党ともにこのバイデン大統領の声明を拒絶している。

米が虐殺と認定、オスマン帝国のアルメニア人殺害 トルコ反発 | ロイター

グルベンキアンは第一次、第二次世界大戦などの戦乱の時代を生きた人である。彼の生存中には、バイデン大統領がいうところのジェノサイドの時代も含まれている。しかし、グルベンキアンのコレクションを鑑賞すると、彼自身のルーツであるアルメニアと生まれ育ったオスマン帝国、双方の美への愛を感じる。 

 英語:https://gulbenkian.pt/museu/en/

日本語:https://www.visitportugal.com/ja/content/museu-calouste-gulbenkian