アフターコロナ 概念の産業化と技術革新の巨大なリターンの可能性

新型コロナの影響で各国が異例の経済政策を行っている状況であり、財政支援、マネーの供給と資産買い入れが巨大化している。世の中では金融資産バブルと呼ばれているが、もしかしたら単なるバブルではなく、世界を大きく変える可能性がある。金融市場と実体経済の乖離は一時的なものであって、世界的な投資が長期的に見て巨大なリターンを生みだす可能性である。

日本銀行は、物価と金融システムの安定を目的としている。欧州ECBも同様である。米国FRBはそれに加えて雇用の最大化を目的としている。物価上昇局面では金融引き締めを行い、物価下落局面では金融緩和を行う。現在、新型コロナの影響で各国とも異例の金融緩和を行っている。

しかし、これほどの異例の経済政策(金融緩和および財政政策)が行われているので、企業によっては設備投資・研究開発に多額の資金を投入することができる大チャンスである。通常の設備投資は上限があるが、現状では将来が期待される産業への投資は類を見ない規模で行われている。各国でも経済政策の先を見越した大規模な技術革新への期待があることだろう。

しかし、金融も政治当局者も直接産業に関わっているわけではない。SDGsなかでもDXへの投資は、世界的に巨大な技術革新の波に結びつく産業の種をまいているようなものだ。その中から大きく育つものが出てくることを期待して投資を行っている。また実際には有望な産業の芽が見過ごされていて投資が十分に行われていないこともあるだろう。大きく網をかけたいなら、そこは見過ごしてはいけない部分である。

ESG投資の本命はE(環境, Environment)である。私も以前分析を行ったことがあるが地球温暖化は進行しており、巨大災害への懸念もあることから、気候変動リスクへの産業は今後これまで以上に拡大するだろう。

AIに関しては、データ利用とプライバシー保護が相反する側面がある。プライバシー保護の必要が実質上ない国である中国、ロシアが一気に台頭する可能性がある。

最近、米中の覇権争いが熾烈化している。これには、今後の技術革新のリーダーシップを取れるか否かでこれからの世界の勢力地図への影響があることが関係している。金融市場と実体経済、安全保障は相互に有機的なつながりを持っている。

日本では目に見えないものに対する産業が遅れている傾向がある。例えば金融やITである。日本の金融は優秀な法学部卒の牙城であるため経営や商品開発に必要不可欠な数学的な発想への本質的な理解に欠けている。日本のIT産業は重厚長大産業の下請けからスタートした経緯があり優れた技術者への適切な処遇ができていない。いつまでも高度経済成長期の成功体験にとらわれていてはいけない。概念を産業化する力が必要である。

本当に重要な情報にはソースはない

今どきはネット上でなんでも情報が手に入ると思っている人が多いが、そんなことはない。ネットに載っている情報は世界中に発信された公開情報である。非公開の情報はネットには載っていない。本当に重要な情報にはネットのソースはない。学術的なことでいえば、まだ発表はしていないが独創的な素晴らしいアイディアというものもあるかもしれない。内緒のとっておきの話というものもあるし、SNSを経由しない何気ない会話の中にお宝情報が潜んでいることもある。

非公表情報はなぜ公表できないか?組織の機密情報というものがある。内部情報、いわゆる中の人の情報には、正確さについていろいろな角度から間違いはないが外部に説明ができないものがある。個人的な内容の情報は裏付けがはっきりしないものもある。ジャーナリストや警察、スパイなどは明かせない情報や情報源もあるだろう。「007 ユア・アイズ・オンリー」という映画があるが、For Your Eyes Only(略語: FYO)は秘密とか親展といった意味である。

私も内緒話をしたりされたりする。内緒話をするときは相手が信用できるかどうかを吟味する必要がある。幼い頃、信用できそうな顔をした口の軽い相手につい話をしてしまったことがある。人は見かけによらないということをそのとき痛感した。また、やはり小さい頃、ある情報を私から得たいと思っている相手がさも自分もその情報を知っているかのように装ったのにつられて、その情報を話してしまったこともある。そのときは自分の軽率さを恥じた。幼少時のたわいもない話から心理的に痛い目に遭いながら、どんな相手なら信用できそうか、どんな話ならここでしても差し支えないか、学んできたように思う。

わざわざ口止めされたわけではないが、話した相手の立場を忖度して、内緒にしている情報もある。またはソースをあえて明かさないこともある。情報のフィルターが適切な人には良質の情報が集まってくるものだ。

ネットに載っている話ならソースを確かめたり、事実関係を積み上げたりして、真実かどうかわかるかもしれない。ネットに載っていない話も同様だが、ソースはない場合もある。そのときはその人が信用できるか、信用できるバックグラウンドがあるか、話の内容に論理的整合性はあるかなどを考えて、その話の信憑性を吟味する。また、解釈がしにくい情報もある。そういった情報はできれば専門家などから直に聞いたほうがよい。いずれにしても一次情報かそれに近い情報を得ることが重要だ。

ソースのない情報はいい加減なでたらめかもしれないし、知る人ぞ知る重要情報かもしれない。ソースのある情報でも嘘が巡り巡っていることだってある。有益な情報を得られるか否かは物理的な口コミでもメディア経由でもネットの情報でも受け取る側のリテラシーによる。

春は山菜狩り、秋はきのこ狩り

山菜採りのシーズンは初春である。この頃からゴールデンウィークにかけての山は薄い若葉の緑色がだんだん濃くなっていく美しいシーズンだ。私は北関東の出身だが、幼い頃は親や親戚に連れられて、春は山菜狩り、秋はきのこ狩りにでかけたものだ。

スーパーにも山菜は売っているが、山で採れる山菜とスーパーの山菜は全くの別物である。スーパーの山菜にはアクがない。そのまま調理して食べられる。山で採れる山菜はアク抜きをしないと苦すぎてとても食べられない。しっかりアク抜きをした後でも独特の苦みが残る。子供の頃はよくわからなかったが、この苦みがおいしい。

山菜の種類は、わらび、せり、タラの芽、ぜんまい、ふきのとう、ふき、こしあぶら、たけのこなどだろうか。天ぷらにしたり、和え物、煮物にしたりして食べる。きのこも山菜も鮮度が命である。採ってきたらすぐに調理にとりかかる。たけのこはまだ地面から出ていないものを掘る。そのくらいのものが柔らかくて美味しい。

いつも行く場所は決まっているのだが、取り尽くしてしまってはいけない。翌年のために残しておくのだ。逆にいえば毎年取って間引くと次の年にいい感じに成長するような気もする。

東京にも可食な雑草は生えている。つくしやよもぎなど見かけるが、まとまった量がないし、道に面したところに生えていて表面に何がかかっているかわからないから、食用にしようという意欲がわかない。

秋はきのこ狩りに出かけた。親の代まではどのきのこが食べられるかという知識があったが、私はあいにく引き継げなかった。何種類ものきのこを食べたが、毒きのこにあたったことは一度もない。松茸も自生している。松茸は生えている場所がわからない。それどころか、ここにあるよ、と指をさされてもわからない。どうやって松茸を認識するのかは結局学べずじまいだった。ちなみに松茸はそれほど美味しくはない。香り松茸味シメジとはよく言ったものだ。また原木栽培の椎茸の採れたてを焼いて醤油をたらして食べるのもとても美味しい。

ところで、東京にきてあけびが売られていたのには驚いた。あけびは山に行ったときに木に生っているのを取って中の甘い果肉のところだけを食べるものと思っていた。しかも皮も調理して食べると聞いてまた驚いた。まだ買ったことはない。買うものじゃないような気がして。

コロナの影響でしばらく帰省していないが、東京でも新緑は楽しめる。年中PCに向かっていると目が疲れてしまうが、緑は目にいいらしい。外出のついでに努めて木々を眺めている。

タワーマンションの階段上り下り ー コロナでの運動不足解消とダイエット

マンションの高層階の住人からの住み心地についてはさまざまなメディアに載っている。しかし書いてある内容からそのうちの多くは実際に住んだことのない人が書いていると断言できる。そこから類推されるのは、住宅記事にはいわゆるステマが多いということである。マンションの30階に住んで10年以上になるが、おおむね快適に過ごしている。今回は階段について書いてみる。

マンションの高層階に住むならエレベータを使わず階段で自宅まで上り下りできないといざというときに不安が残る。少なくとも一度は防災訓練もかねてやってみたほうがよいと思う。高層階のオフィスでも防災訓練で階段を利用することがある。

また、階段の上り下りは運動不足解消とダイエットに役立つ。上りは有酸素運動、下りは筋トレになるのだ。イメージでは、上りはキツくて無理だけど下りはなんとかなるだろう、と思うかもしれない。

上りのコツは「ものすごーくゆっくり」上ることである。それなら上階まで上れる。上ると汗をかいていい運動したなと思えるが、私の経験では筋肉痛にはならないので翌日以降に引きずらない。息を切らしてはいけない。息を切らしたら休めばいいじゃないかと思うかもしれないが、それではキツいばかりか先に進めなくなる。一度超スローモーションで最後まで休まず上ってみてコツをつかんでみよう。そのうえで物足りなかったらスピードを上げてみればよい。

この方法を思いついたのは経験からだ。サクサク階段を上って息が上がって続かなくなったときに「家の中で繰り返し活動をするのだっていろいろやっているじゃないか、それは続くのに階段上りが続かないのはなぜか、家の中だったら無意識のうちに無理のないようにゆっくり動いているからではないのか、だったら階段もゆっくり上ればいいんじゃないのか」と思いつき、実行してみたのがきっかけだ。その後、山登りの考え方に通じるところがあると知り、理にかなっているのかなと思った。

下りについては、どちらかというとサクサク下りた方が楽ではある。しかし、どうやっても結構キツい。私も一ヶ月ぶりくらいに階段を下りると翌日は筋肉痛である。最初は一日おきくらいにやってみて、大丈夫そうだったら毎日やってみよう。そうすれば筋肉痛はいつの間にかおさまるものだ。そのうち楽に下りられるようになるので、私はスローで下りてみたり、もも上げしてみたり、がに股や内股で下りてみたりと、いろいろなバリエーションを楽しんでいる。

階段の上り下りは散歩と同様に気分転換になる。前向きな考えも浮かんでくる。身体を動かして気分が晴れると人間も動物なんだなと改めて思ったりする。

さて、夫も私もエレベータが止まってしまった状況に遭遇したことがある。私のときは地震だった。ある程度の揺れを感知すると自動的に止まってしまうらしい。夫のときは、点検でエレベータが止まると事前に予告されていたにもかかわらずうっかり忘れていた、という状況だった。夫にも私にもどちらも共通していたのは、エレベータが止まっていたときにたまたま飲み会帰りで酔っ払っていたということである。

しらふなら階段を上れても、酔っているとかなり厳しい。これはやってみないとわからないだろう。私もわからなかった。最初に夫がエレベータ停止に遭遇したとき「普段のときと酔っているときじゃ、階段上るキツさは全然違うよ。休み休みなんとか上ったけどすっごくたいへんだった」と力説していた。そのときは、ハイハイ酔っ払いはたいへんね、と聞き流していたが、自分が遭遇してわかった。本当にたいへんだったのだ。私は数段上るのを繰り返してみてこれは無理だと悟って諦めた。そしてフロアまで下りて椅子に座って休んでいた。こういうときは待つ時間が本当に長く感じるものだ。どのくらい待ったか覚えていないのだが、やっと一台動いたのでエレベータで家に帰ってホッと安堵した記憶がある。

このとき私が遭遇した地震は比較的大きかったものの大したことはなかった。しかし、巨大地震だっていつ起こるかわからない。普段階段を上り下りしていても、酔っ払って帰ってきたら地震が起こって家までたどり着けない、なんてことが実際あるのだ。翌日の仕事にも響く。高層マンションにはそういったリスクがあることも知っておきたい。

スパイス・ハーブ入門 ー 料理初心者のあなたもスパイスの魔術師に

料理は私の一番好きな家事である。うちにはスパイス・ハーブが20種類ほどあり、そのうち半分くらいはしょっちゅう使っている。ところで、あまりスパイスを使ったことがないという人もいるだろう。いろいろあるのでどれを使ったらいいかわからないし勇気がないから試していない、という人は多いのではないだろうか。ここではスパイスの使い方や試し方を語ってみたい。

初級編)カット野菜の野菜炒めにミックススパイスを使ってみる

まず簡単な野菜炒めを作ろう。やり方は、炒め物用のカット野菜を買ってきてささっと炒めるだけ。同じ野菜を炒めたものでも、スパイスを入れてみると目先が変わるので、違うメニューのようにみえる。毎日料理するとメニューが偏ってしまいがちだが、スパイスを変えただけでメニューの使い回しができる。

まずはミックススパイスを使ってみよう。いろいろなミックススパイスが売られているが、うちでよく使うのは、エルブ・ド・プロバンスガラムマサラ、五香粉(ウーシャンフェン)である。カット野菜の野菜炒めなのに、エルブ・ド・プロバンスと塩とオリーブオイルで味付けすればアーラ不思議、いつもの野菜炒めがフランス料理になる。ガラムマサラと塩とオリーブオイル(またはギー)で炒めればインド料理の味になる。五香粉と塩(または 醤油)とごま油で炒めると中国料理店に行った気分になる。どのスパイスもかけすぎないことがコツ。まず少なめにちょっとだけ振ってみて味見しながら好みの量を探ろう。

これで、フランス風、インド風、中国風それぞれの野菜炒めを作ることができる。

中級編)ミックススパイスを代表的な料理に使ってみる

ところでエルブ・ド・プロバンスはもともと何の料理に使われることが多いだろうか。例えばラタトゥイユを作ってみよう。ラタトゥイユは野菜炒め煮だから、多少時間はかかるが作るのは簡単だ。塩こしょうだけで作るよりも味に奥行きがでる。(煮込むときにはローリエを入れてもいい。)ちなみにエルブ・ド・プロバンスというのは、フランス南部プロバンス地方のハーブという意味である。

ガラムマサラはもともとカレーの仕上げに使う人が多いだろう。ところで、インドにはカレーという名の料理はないらしい。あるのはスパイスを使った炒め物や炒め煮などである。例えば、ジャガイモとキャベツをオリーブオイル(またはギー)で炒めてみよう。そして塩とガラムマサラで味付けすれば「ジャガイモとキャベツのサブジ」という料理ができる。

五香粉も幅広い料理で使われている。好みが分かれるスパイスではあるが、炒め物一般に使うと一気に中華風になる。私がよく作るのは、台湾の魯肉飯(ルーローハン)、豚の甘辛炒め煮を青菜やゆで卵と一緒にご飯の上にのせたもの、だ。豚バラ肉のかたまりを買ってきてカットし、玉ねぎと醤油、砂糖、酢、酒で甘辛く煮て五香粉で香りをつける。日持ちするので多めにつくっておける。

これで代表的なミックススパイスの使い方をマスターできた。

上級編)ミックススパイスの中の個別のスパイスを使ってみる

次なる課題は、それぞれのミックススパイスの中身のスパイスを別々に使うことだ。ミックススパイスを使うことができれば、中身のスパイスにも親近感をもてる。それぞれのスパイスは別々の風味を持っているので特徴にあわせて使い分けしよう。また、ミックススパイスの中で気に入ったスパイスを別に多めに入れるとか、ミックススパイスの他に別のスパイスを入れてみるとか、自分なりにアレンジをしてみるのも楽しい。

手元にあるエルブ・ド・プロバンスのメーカーはマスコットである。原材料名は、ローレル、ローズマリー、セイボリー、オレガノ、バジル、マジョラム、フェンネル、パセリ、タイムと書いてある。(サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」が聴こえてきそうだ。これにはセージが入っていないがメーカーによっては入っているものもある。)例えばローズマリーを使って鶏胸肉のチキンソテーを作ってみよう。焼く前に塩、こしょう(あれば挽いた黒こしょう)しておく。終始弱火で最初は皮を下にして15分程度じっくり焼き、皮がパリパリになったらひっくり返して10分程度焼く。だいたい焼けたかなくらいの頃にローズマリーを投入する。最後にレモン汁をふり入れて肉をカットすれば完成だ。ローズマリーはフレッシュの方がよいけれど、なければドライのものでもよい。

手元のガラムマサラはS&Bのものである。原材料名はブラックペッパー、コリアンダー、赤唐辛子、カルダモン、ホワイトペッパー、クミン、クローブ、シナモンである。この中でクミンを使ってみよう。クミンには種子のクミンシードとそれをすりつぶして粉状にしたクミンパウダーがある。クミンシードは油を熱した後に入れて香りを立たせてから使うことが多い。パウダーはいつでも投入してよい。どちらも炒め物や煮物、スープなどさまざまな料理に使える。使い勝手がよいスパイスだ。例えばキャベツや人参などの野菜を炒めて塩こしょうとクミンで味付けすると野菜のサブジができる。このときはシードでもパウダーでもOKだ。ちょっとエスニックな感じが漂う一品になる。ガラムマサラを使った味とクミンだけの味とでどちらが好みか比べてみてもよい。ちなみにクミンはトルコ料理にもよく使うスパイスである。

うちにある五香粉はS&Bのもので、原材料はスターアニス、シナモン、花椒クローブ、ちんぴである。スターアニス八角のことであり中国料理にはよく使われる。八角はそのまま使うと風味が強烈なこともあり、五香粉のように粉状にして他のスパイスとミックスしたほうが使いやすいように思う。花椒は麻婆豆腐の仕上げに使うとしびれるような風味と香りが立って本格的になる。粉末のものを使うか粒状のものを包丁でたたいたりミルで挽いたりして使うとよい。市販の麻婆豆腐の素を使って作ってもいいが、豆板醤、甜麺醤豆豉を使って作っても思いのほか手間なく簡単にできる。

ここまで読んでくれたあなたは、すぐにスパイスの魔術師になれる。ここで書かなかった別のスパイスが店頭にあればそこから同様に試してみてもよい。また、一度初めてのスパイスを使ってみると他のものも使ってみたいと思うだろう。まずは、気になるスパイスを入手して早速キッチンで試してみよう!

菊池100号ホームランおめでとう、広島7-3中日 バンテリンドーム

菊池涼介が先頭打者で100号ホームランを打った。プロ野球選手としては小さい身体でパンチ力のあるバッティングを見せる。今年は絶好調で現在リーグ首位打者、ホームランは5本でリーグ2番目だ。守備だけではない。打撃でも何かつかんだのだろうか。またコンディションもいい状態なのだろう。好調を維持していってほしい。

昨日まで3連敗していて31イニング得点なしの状況だった。首位阪神に連敗して厳しい状況であるが、まず菊池のホームランで点が入った。その後も中押し、ダメ押しと続いて今日は勝利を収めることができた。順位は4位だが、9勝8敗1分けで、1つ勝ち越しとなった。

大瀬良が故障で離脱、今日の先発は遠藤だった。コントロールが定まらず、自身の牽制エラーでも点を取られるなどまだ自分と戦っているレベルで、球数も多く5回持たなかった。球そのものは悪くなかったように思う。一軍先発は急に決まったのかもしれない。野村も二軍落ちしている状況で先発陣に余裕はない。次頑張ってほしい。そういった中、今日勝てたのは大きい。

今日は初物の多い日だった。勝ち投手はルーキー大道。勝ちがつくゲームは中継投手になかなか回ってこないが、今日は2回を投げた大道に勝ちがついた。ランナーは出しているもののまだ防御率も0.00である。投げっぷりの良さが持ち味で、投げるたびに声を上げる。

森浦もツーアウト満塁のピンチを1球で抑えた。バッターは中日代打の切り札福留。こんな局面で出されるルーキーは信頼度が高いのだろう。ピッチャー強襲でこぼれた打球を會澤が冷静に処理してスリーアウトになった。

今日のスタメンを見てちょっと驚いた。レフトに中村奨成が入っていたからだ。今日から一軍昇格。プロ初スタメンは捕手ではなくて外野手だった。守備も安定していた。2打数1安打。俊足を生かした二塁打だった。これまでは代打で出たことがあるが、ノーヒットで今日は初安打を記録した。會澤の内野安打で本塁に帰れてよかったと思った。捕手は経験がものをいうポジションでもあり、一軍で見る機会が少なかったけれど、やはりいい選手だ。これからも捕手でも他のポジションでもいいプレーを見せてほしい。足が速いから捕手ではもったいないような気もした。

4点差なのでセーブシチュエーションではなかったが、最後は栗林が出てきた。3連敗していたので投球機会がなかったためでもあろう。愛知県出身で、初セーブはマツダで中日相手だった。今日はバンテリンドームでのプロ初めての試合。全く危なげなく3人で抑えた。彼はランナーを出してから抑える劇場型ではなく、安心して見ていられるクローザーである。コントロール良く、球も速く、変化球もカーブ、カット、フォークとあり、いずれも決め球に使えて引き出しも多い。少し気が早いが、阪神の佐藤、DeNAの牧との新人王争いも楽しみだ。

今日は鈴木誠也が決勝の3ランを打った。ホームラン以外はヒットなしだったが、これから打率、ホームラン数だけではなく打点も稼いでいってほしい。西川の犠打、代打長野のタイムリーもあった。花粉症シーズンが終わり暖かくなれば彼らも調子も上がってくるだろう。

 中日はライトに根尾が入っていた。打つ方はノーヒットだったが、守りでいくつかファインプレーがあった。平田が不調でもあり、外野で使われるのだろうか。打てなくても守りでチームに貢献している。

コロナ禍でも直に会話をしたいという欲求は抑えられない

コロナの流行を阻止するために一番大切なことは「対面で会話をしないこと」と私は何度も書いている。会話をしないことで飛沫を飛ばさなければ、感染しにくくなる。

 

しかし、人が会話をすることは生きていく上で重要なのかもしれないと最近思うようになった。テレワークの普及などもあって、ここ一年ほど会話の機会が減ってしまった人も多いだろう。私もそのひとりだ。機会が減ったので会話が下手になったようにも感じる。ついかぶせ気味に話をしてしまって反省したりしている。

 

最近初対面の人と短時間会話をする機会があった。彼女はしばらく特定の人以外と話をしていないらしい。話し始めるやいなやマシンガントーク状態になっていた。もともとそういうキャラクターの人なのかもしれないが、共通の話題をもつ誰かと話をしたかったんだろうなと思った。

 

日本人のコロナ感染者が世界的に見て比較的少ない理由は、会話が少ないことと、日本語が飛沫を飛ばさないような発音の言語であることだと思う。英語を例にとろう。以前から私は英語を話すと自分が飛沫を飛ばしているような気がしていた。日本語よりも英語の方が同じ内容なら具体的な説明に費やす量が多いため話が長くなるようにも思う。また、英語に限らず日本人より外国人の方がよく話す気がする。南欧の人は話し好きで人と人の距離が物理的に近い。中国人やインド人などは大声でまあよくしゃべる。

 

コロナ前に以前の職場で中国人の同僚数人が会話をしていて盛り上がっていた。あとでひとりに「何を話していたの?」と聞くと「彼らとは言葉が違うから何言っているのか全然わからなかった」と言う。中国本土内でも場所によって話す言葉は違う。例えば北京語と広東語は違う言語なので話は通じないだろう。日本人だったら言葉が通じない時点で話すことを諦めてしまうだろうが、彼らは言葉が通じなくて一方的であっても話をし続けるらしい。

 

会話をすること、自分の言いたいことを伝えようとすることは、人間の根源的な欲求なのかもしれない。

 

対面でなくてもZoomなどを使って話はできるし、オンラインセミナーなども開かれている。オンラインのいいところは場所を限定しないことである。今まで東京で開催されていたセミナーは他の地方からは物理的に参加しにくかったが、今やどこに住んでいても参加できる。別の国で開催されるセミナーにも参加できるし、会話もできる。コロナよりだいぶ前からSkypeなどでビデオ会話はできた。しかし、コロナでオンラインで話すことがかなり普及したと思う。

 

でも、オンラインはリアルでの会話とはまた違うものなのかもしれない。やはり直に話をしたいという欲求は抑えられないのだ。明確に意識はしていなくても、会話できないくらいならコロナにかかってもいい、と思う人は実はかなりいるのではないか。それくらい何気ない会話は人が生きていく上で重要なのだろう。せめて距離をおいたりマスクをしたり大きなパーティションでしきるなりの十分な予防をして会話をするようにしたい。