共産主義の中国政府と個人の箸の上げ下ろしまであげつらう日本政府

中国が違法な内容と判断したカラオケ曲を禁止するそうだ。

中国、違法な内容のカラオケ曲を禁止へ | ロイター

以前、知り合いの中国人とカラオケに行ったときに、日本の「北国の春」(作詞:いではく)について「素晴らしい曲だよね」と言っていた。中国でも大ヒットしたのだそうだ。日本の歌ではあるけれど「北国の春」なら歌詞の内容からも禁止されないのではないだろうか。

さて、「北国の春」では故郷への思いを歌っているから、国民にお盆の帰省をやめてほしい今の日本政府にとっては都合の悪い歌なのか、というとそうではない。「あの故郷(ふるさと)へ帰ろかな」というのは「帰省するよ!」という意味ではない。彼は故郷へは帰らない。故郷への懐かしさや切なさを含むさまざまな感情が入り交じった気持ちをあえて美しく叙情的に表現しており、それが人々の共感を生んでいる。だからこの歌は現状の社会状況に照らし合わせれば日本政府からもむしろ推奨されるべき歌である。

しかし、コロナ禍であっても、日本国民は、お盆に帰省することや帰省先の行動まで事細かに政府に言われないといけないのだろうか。デパ地下の入場制限をされなければいけないのだろうか。それこそ共産主義の中国とどう違うのか。現状の日本はロックダウンが事実上できないし、ワクチンを接種するかどうかも国や企業が決めるのではなく個人が決められるが、そのことについて私は日本国民でよかったと思っている。しかしそれならば国民が自分で考えて適切な行動をすることができるだけの知性を持たなければいけないのだ。

前から何度もブログに書いているが、現状では、ある程度の時間、近距離での会話をしなければ感染しない(運が悪かったり職業上また状況によって仕方なかったりする場合もある。また本人が適切な行動をしていても家族からうつることはある)。適切にマスクをつければ予防の一環になる。しかし、うちの近所には家族連れや友人同士ででかけてワイワイ騒いでいたりする人々がたくさんいる。大勢でホームパーティーの買い出しに来ているらしき人達もよく見かける。どういう状況で感染するのか全く考えていないようだ。これらの人たちが、自分たちは我慢を強いられていると思っているらしいということが私にはよく理解できなかったのだが、最近できるようになった。彼らはこの期に及んでどういう経緯で感染するのかが全く理解できていないので、何をどう気をつければよいのかわからない。だから、不安になったり我慢を強いられていると感じる一方で傍若無人な振る舞いをするのだ。

そういう国民を見ると政府が個人の箸の上げ下ろしまでチェックしたくなる気持ちもわからないではないけれど、それってどうなのよ。世界的にはコロナによる有事の状況であるが、日本では平時の民主主義政治と行政が行われている。ある程度個人の自由を抑制したいが現状無理なので、何故か本質から微妙に外れたところをいちいち細かくつついているのが現状である。専門家は専門分野には見識があるが、専門外のことは往々にしてトンチンカンなことを言う。医学の専門家に社会や経済の責任を負わせてはいけないし、逆もまたしかりである。全体のとりまとめと調整は政治の仕事である。

変えなければいけないのは人々の行動以前に認識なのだ。認識があってこその行動である。新型コロナの流行が拡大しているのは政治家のせいではない。人々の理解と認識が適切でないためである。